茨城県としてのつくば

茨城県企画部理事兼国際戦略総合特区推進監 増子千勝さん

(2013年11月18日にラヂオつくばで放送した内容をもとにした記事です)

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過去・現在、そして未来のつくば
つくば国際戦略総合特区で成し遂げたい想い

Q増子さんが県庁に入庁されたのは何故ですか?

増子さん

当時はオイルショックの影響で就職は厳しい状態だったんですけど、一番最初に県庁から内定をいただいたので、単純に県庁で働くことを決めました。
県庁という行政の中で、街づくりを含めた仕事ができればいいのかなという思いはありました。

Q増子さんは県庁でもつくばに関わりのある仕事を担当されていたのですよね?

増子さん

昭和57年から60年までつくばの科学万博にずっと関わって仕事をしていました。

Q今年でつくば研究学園都市の閣議決定から50周年ということですが、当初茨城県の人々はつくばにどのような期待や将来像を描いていたのですか?

増子さん

私が県庁に入庁した頃は既につくば研究学園都市が建設に入っていましたので、ものすごい科学都市ができるという期待感は持っていました。当時、つくば市というものはまだなくて、6つの非常に小さな市町村だったので県が用地買収からかなり力を入れてつくば研究学園都市の建設に関わってきました。
私が入庁した頃も、つくばの担当課ではとても一生懸命仕事をしていたように記憶しています。

Q何もないところにつくばができたと聞いています、周りは林や道もないような状態だったのですか?

増子さん

狸や猪が通っていたとか、原野でたらの芽がたくさん採れてそれでお酒を飲むのがおいしかったとかいろんな話を先輩から聞きました。私が博覧会の業務に関わりだした頃にはつくばの街はかなりできていたので、そういった原野のような部分はあまり感じなくて素晴らしい街並みの都市が出来上がっているなと、この街を認識していました。

Q今お話にもでましたが、85年の国際技術博覧会のつくばへの効果や影響はいかがでしたか?

増子さん

それまでつくばは陸の孤島というようなイメージがあったと思います。それがつくば万博によって日本中はもとより世界から認知されることになりました。博覧会が終わった後は、つくばに研究所を持たないと世界から評価されない、というような状況になりました。博覧会会場跡地の西部工業団地にはいろんな企業の研究所が建設されて、一大研究所の集積の効果があったと思います。

あの時は、つくば研究学園都市が建設を始めて25周年目ということで凱旋記念での万博の開催でした。博覧会の開催趣旨には、つくばを世界にお披露目して認知してもらいたい、ということがあったのでその意味では博覧会開催は大成功だったと思います。

Qつくば万博のときに私は小学6年生でした。学校でみんなでバスで万博に遠足に行ったり、父の仕事の関係で家に外国人が来たりして、未だに思い出が残っています。

増子さん

私も一番の思い出は、博覧会会場での仕事が終わって自宅へ帰っても幼稚園児だった娘に「パパだけ万博に行ってずるい。」と言われて仕事が休みの週末も家族サービスのために博覧会会場に行っていたことです。

Q現在のホットな話題といえば、つくば国際戦略総合特区ですね。この特区は、国が特区事業に参加する地域を募集して、つくばの他に7つの地域が指定されています。この特区事業に参画した経緯や茨城県の目標について教えていただけますか?

増子さん

博覧会後につくばにたくさんの研究所ができて研究活動も本格化しましたが、そこから新しいイノベーションが生まれにくかったということがあります。研究所は、一つ一つ国の本省と繋がっていますので、縦の繋がりがあっても横の繋がりの連携が難しかったという面はあると思います。研究者同士で顔はお互いに知っていても仕事のうえで連携をしにくかったのです。

つくばにはこれまで2兆5千億のお金を投入しています。これはアメリカのアポロ計画と同じで、月に人を送る計画と同じに匹敵するお金をつぎ込んでいることになります。それだけつぎ込んだのですから、これからは日本が世界の中で存在感を示すために科学技術を使って世の中のために還元していくということが必要です。

それから新しいイノベーション、新しい産業を興す、そして日本経済を引っ張っていくということにつくばが一役を担わなければいけない。そのために、つくばがつくば国際戦略総合特区に応募して、それを一つの起爆剤にしていこうという想いがあります。
ちょうど閣議決定50周年になるので、街ができあがってその中身を充実させていく仕掛けの一つとして、つくば国際戦略総合特区を取り入れて次の街作りを始めていこうというのが、私たちの考え方です。

Qつくばのような都市というのは日本の中でも世界的にみても珍しいと思うので、つくばが今後発展していく良い機会となりましたね。

増子さん

はい。

Qつくば国際戦略総合特区の事業ではどのような成果があがっていますか?

増子さん

まだ具体的な成果はありませんが、順調に進んできています。例えば、次世代がん治療装置BNCTのプロジェクトでは、筑波大学、KEK(高エネルギー加速器研究機構)、日本原子力研究機構、北海道大学、茨城県とプロジェクトチームを組んで具体的に進めています。これまで研究機関、行政、企業のいわゆる産学官の連携が取りにくかったのですが、連携がうまくいってきています。その成果というのはプロジェクトが計画通り進み、その先につくばに新しい産業や事業が入ってくることだと思います。その成果までにはもう少し時間必要です。

Q10月に今までの4つの先導的プロジェクトに加えて新規プロジェクトが3つ追加されましたが、今後特区事業をどのように展開したいと考えていますか?

増子さん

毎年一つずつ新しいプロジェクトを追加するという仕組みになっています。ただ、これにとらわれずに、既存のプロジェクトを確実に進めていって新しい産業や事業を生み出し、その上で新しい研究成果から次のプロジェクトを生み出すことを優先したいと思っています。このように一つ一つ丁寧にプロジェクトに仕立てて、新しい産業を興していかないと次のつくばの未来というのは見えてきません。県も市もグローバルイノベーション推進機構、研究機関も一緒になって踏ん張っていかないと、次のつくばというのはただ単に待っていても来ないので、今の世代が汗をかいて苦労をして次のステップまで押し上げていくことが必要だと思っています。今は頑張りどころだと思いますので一生懸命取り組んでいきたいと思っています。


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